原因不明の病気とつきあっています
- sinsirokeibi
- 1月8日
- 読了時間: 8分
更新日:1月13日

原因不明の病気の始まり
高校3年生の6月頃だったでしょうか。通学途中電車の中で突、然足がむくみました。むくみは異常で2倍以上、両足、特にふくらはぎが腫れました。驚いて、通学している高校のある町の市民病院に行きました。どの科に診察を受けてよいか分からないので、受付に症状を伝えたところ外科を紹介されました。診察の後、腫れをひかせるためか、筋肉注射を肩に打たされただけでした。どこか痛いとか、気分が悪いとか、そういう症状がなかったからだと、今思います。
何度か通院しますが、一向に症状が回復しません。この症状は入院が必要であると思い、両親に願い出ましたが、費用を捻出できず断られました。足の異常なむくみ以外、異常がなかったからでしょうか。
しかたがないので、地元のかかりつけ医に行きました。血圧を計ったところ、異常に高いと言われ驚きました。薬を処方され、服用して、たちどころに足のむくみがひきました。直ったと思い、安心して通常の日常生活に戻りました。
何故、市民病院たるもの、血圧測定しなかったのでしょうか。民間の医者に劣る市民病院の情けなさに落胆したものでした。一浪の後、大学の健康診断後、病院で何度も検査を受けさせられました。いろいろな検査です。「 クレアチニン」という言葉だけが記憶に残っています。「なぜこんなに検査させられるのだろうか。」と当時、納得がいかず、相当、戸惑った記憶があります。
慢性腎炎と判明
今までの症状と病名が分かったとき、本当に驚きました。「慢性腎炎」...この病名をはじめて知りました。後に、この病気について知識を得たとき、初めて通院した市民病院に対して深い失望を感じました。「地域一番の病院でありながら病気のこと何も分かっていない」...情けないやら、悔しいやら、そんな感情に苛まれました。
足のむくみと高血圧は「腎炎」そのものだと、今なら、一般人でも知るところの常識です。およそ55年前といえど、その程度のことが大病院のくせに何故分かっていないのでしょうか。小学6年生の時、私の同級生が「腎炎」で入院し、完治したこと子供心に記憶ありました。彼は、市役所に就職し、私は、教員1次試験合格したのに、「慢性腎炎のため」教員になれず。高校の時、「急性腎炎」で、もし適切な治療が施されていたならば完治したに違いない。学校の先生になれたはずなのにと、不運を嘆いたものでした。
しかも健康診断に「尿検査」が入ったのは、その後でしたが、今では病気で病院にいけば、必ず、尿検査されます。もっと早くに導入してほしかった、と思ったものした。「腎炎」「糖尿病」の罹患率が上がったからでしょうか。
皮肉なもので、その後は、教員よりもっと過酷な人生、昼は「交通誘導」夜は「塾教師」日祝もほとんどない働きづめの過酷な人生の道を歩んでいます。何十年と続けています。
「病気の人に先生やってもらうのは忍びない」と面接官に諭され教員採用試験は健康診断で不合格。一見、健康で普通人以上の健康生活を送っているのに。
常に「尿タンパク」が検出されたかどうかは不明で、「慢性腎炎」と診断されたのは事実です。いずれにせよ、公務員にはなれませんでした。
「当時採用されたどの先生よりも、過酷に、長時間、長期間働いていますよ。定年退職した後さらに続けて現役で働いていますよ。何の異常もありませんよ。」...と「病気の人に」とおっしゃった面接官に申し上げたい気持ちです。
このように、慢性腎炎と診断されても普通の人異常に過酷に生活していて、生活に異常なく働いています。普通に考えて、訳が分からない気持ちです。その中で「慢性腎炎」という宣告は私の心に大きな足かせとなり、不安を募る材料となっていきました。
さて、大学卒業後、「尿タンパク」がでて「慢性腎炎」治療のため専門と言われる民間の病院に相談に行きました。「慢性腎炎を治したらノーベル賞ものだ。無理な運動せず、十分休みながら、人生を送っていくしかない。」とアドバイスいただきました。当時、他の病院から「腎生検」を勧められていました。そのこと相談したところ「あれは人体を傷つけるだけで、病院側にメリットがあるが患者にとって治療ではなく、傷つけるだけでかえってよくない。」とアドバイスいただきました。大変な感謝です。
慢性腎炎だけでなく、身体の不調は高校1年生の頃から始まり、解決を求め、書籍を探しました。体の不調で勉強に集中できなくなっています。ですが、病気という症状はありません。医学の限界を感じさせる状況です。
最初の出会いは「沖正弘」氏。ヨガと断食を学びました。早速、断食しようと実行しました。ところが、「食べないと、死んでしまう。」と、両親が猛反対。断食できず、大学に入って実施しよう決めました。
入学後、早速実施。1週間、水だけの断食。補食が大切で、少しづつ2週間かけて正常食に戻すことを実行しました。また、下剤の使用が大切ということで、「ミルマグ」を使用。1日目は空腹がきつかったようですが、3日目あたりから空腹を感じず、精神が研ぎ澄まされ、睡眠時間が短時間で済んだようです。とりあえずやったということです。体調は良くなった気がしますが、劇的と言うほどの変化はなかった気がします。一人でも断食できるという自信と、人は食べなくても水さえあれば相当な期間食料なしで生き続けられるという、実感を身につけました。
二度目の断食は、学生アルバイトしながらです。土木の肉体労働です。食べなくても働けることに驚きを感じました。この断食生活と玄米菜食生活を基本とした大学生活でした。パンとマーガリンと干しぶどうが好きで、これを食事にしたことも多々ありました。
「ぜんそく」との出会い
大学2年の頃、次の病気が始まりました。家庭教師先で、突然、咳がひどく呼吸が出来ません。帰宅できず、その方の家に泊めていただき、看病してもらいました。あのときの息苦しさは、今でも鮮明に思い出されます。何とも不思議な症状で、そのときも病名が分からず、しかも病気という思いがありません。不思議なことです。本当は病気なのに。
そうです。「ぜんそく」だったのです。社会人になって再発して初めて病名を知り得ました。再発し、しばらくは、漢方薬、これが効かないときは、吸入器。何年か発作が出たりしているうちに、ある日、吸入器が全く効かなくなりました。急遽、入院しました。ぜんそくで初めての入院です。担当した先生は、有名な専門医らしく、いろいろな処置のおかげで1,2週間で回復しました。。先生は、私に薬名のメモを書いていただき、「今度同じようなことがあったら、病院にこのメモを先生に渡し、処方してもらいなさい。」とおっしゃっていただきました。メモは大切に、財布に収納し、常時持ち歩いていました。
ぜんそくでの入院は、2度です。入院すれば治ると考えていましたが、ぜんそくで死んだ人がいると、後から知った時は、ぜんそくの怖さに恐怖したものでした。
さらに分かったことは、別の病院で風邪か何かの診察で通院したときのことです。そのメモを先生に見てもらいました。「こんな強い薬使っているなんて。」と驚かれました。私も、先生が驚いたことに、さらに驚きました。薬名は、素人の私では分かりません。英語名かドイツ名で書かれていましたので。
玄米菜食が基本の社会人生活でした。沖正弘氏の影響です。体調不良の解決策として実践していました。ですが、なかなか、完治とはいきません。調子が特に悪くなれば断食です。そういうことで、3回ほど1週間断食を行いました。もちろん、断食中は普通に働いていました。
いつの頃でしょうか。おそらく、警備員になってからのことだと思います。何かの機会に「尿検査」しました。相変わらず、「尿タンパク」出ているだろうと思い、「先生、尿タンパク出ているでしょう」と問いかけました。
すると「いや、出ていませんよ」との返答です。「ええ!?」とまさかの驚きに仰天してしまいました。
いつのまにか、「慢性腎炎」が完治していたのです。なぜでしょうか。どの方法がよかったか分かりません。断食は効果あったと思います。ただそれだけではなかったようです。
その後、次々と治りにくい病気と関わっていきます。難病とされるのもあります。ぜんそくも、この20年間、全く再発しなくなりましたが。吸入器をすべて廃棄したのは、5年前くらいです。
花粉症
次に、花粉症です。今から、ざっと20年前くらいでしょうか。警備会社に勤め、山で交通誘導したとき急に鼻水が出て、止まりません。花粉症です。当時は、生まれて以来、アレルギー全くなかったので、花粉症には絶対かからないだろうと、絶大の自信を持っていました。その自信を打ち砕き、症状が出てしまいました。鳳来寺山でのことです。いったん症状が出始めると、季節ごとに花粉症が始まります。ひどいときは、1日ティッシュ3箱以上使いました。鼻炎カプセルを飲めば鼻水は治まりますが、眠気に襲われ、仕事になりません。
いろいろ格闘の末、およそ10数年前くらいこれも完治。食生活の改善と思われます。
現在も、病気と取り組んでいます
高校1年に始まった体の不調はいまだ改善していません。そのときから、新たな病気が次々とわき起こり、奮闘しています。病気との遭遇の人生です。そのたびごとに解決策を求め、いろいろ調べ、自分の体で試しています。そのなかで、「B型肝炎」「黄斑変性症」なる本当の難病、そして「胆嚢炎」「白内障」...などなど、賑やかに遭遇しています。
そうして、サプリなどに2千万円以上つぎこみました。5千万円を超えるかもしれません。費用に見合う効果があったかは不明ですが。
現在、難病、原因不明の病気格闘中、なお、血圧だけは超正常。120を超えることはほとんどなく、下は70台で安定、これだけは不思議と正常です。
高1以来の不調とは、腸が中学生以下の時のような正常な活動できないことです。「過敏性大腸炎」と診断されました。内視鏡検査は異常なし。ですが、未だに、完治せず。どのような健康法もことごとく敗退、目下挑戦中。
最近になって、私の病気の根本原因らしきものが浮かび上がりました。「B型肝炎」をのぞき、今まで罹患したすべての病気の根本ではないか、と思えます。
現在、自分の体で検証中です。分かり次第報告する予定です。
病気については、私のテーマのひとつです。
当社の隊員が良い仕事をするための必須条件でもあります。
私の体験と知る限りの知識をお伝えできたらと思います。
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